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@sophizm の上から涙目線

違法ダウンロードが刑罰化されることについて

著作権法の改正により、違法ダウンロードに刑事罰が適用される見通しが確定的になりつつあるようだ。

民主、自民、公明の3党は13日、違法にインターネットに配信されていると知っているのに音楽や映像などをダウンロードした場合に罰則を科す方針で大筋合意した。著作権保護の強化が狙い。政府が3月に国会に提出した著作権法改正案には盛り込んでいなかったが、3党で罰則を明記した同法案の修正案を近く議員立法で提出する。今国会で成立する見通し。

違法ダウンロードに罰則 民自公、著作権保護を強化  :日本経済新聞

今日、刑罰化について意見を聞かれたので、各論として刑罰化は有り得べき道筋であるが総論としては文化の発展に寄与するという本来の目的に照らしてバランスを大いに欠いており反対、と答えた。しかし、各論についても有り得べき道筋だというのは違法ダウンロードが「違法である」からであって、私的複製の一部が違法化されたことについて個人的意見として納得できていないため、端的に言えば違法ダウンロード刑罰化には反対である。


以下、考えを書き綴っていく。


1,奪われた財産と権利 〜ダウンロード違法化(2010年)〜

私的なダウンロードが違法化されるということ。
かつて合法であったダウンロード行為が違法になるということはどういうことか。それはダウンロードが権利者にとって損害になるということだ。違法化前はそれは権利者にとって損害ですらなかった行為で、かつ原始的に規制されない自由な行為であるためユーザーにとって利益を得る行為でもなかった*1

この点は重要で、ダウンロード違法化前の違法アップロード著作物のダウンロードは「合法」で「損害でない」のだ。仮に違法化以前の違法アップロード著作物のダウンロード数を違法ダウンロード数の推移として算入していたとすれば、そのデータは欺瞞である。損害はなかったのだ。

同時に、違法ダウンロードが著作権者の権利を侵害し続けていたというのはウソだ。損害を与え続けているというのもウソだ。ダウンロード違法化は、合法だったダウンロードを「権利侵害」にし、「損害」と法定させたから権利侵害であり損害になったのであり、違法化の前後を問わず本質的に権利を侵害し損害を与える行為だったわけではない。

ダウンロード行為の本質とはなんだったのか。


2,例外の例外の例外は例外の例外より強い理由が必要

著作権法憲法上の「表現の自由」と密接な関係を有していることは言うまでもない。表現の自由自由権の中でも中核的な権利の一つで、前国家的権利、つまり国家の有無に関わらず本質的に「自由だ」と言われている。著作権法は表現を制限している。歌を歌うことを禁止している。聞いた歌を楽譜に落とすことを禁止している。本を音読することを禁止している。絵を書き写すことを、文章を書き写すことを、その他もろもろの表現行為を一定のものに独占させて、それ以外のものが表現することを禁止している。それが著作権法

もちろん、表現の自由は絶対不可侵ではない。だからこそ著作権法は存在し得るわけで、他人との利益の衝突やマクロなビジョンでの高度な政策的意図から表現の自由は規制を受ける。著作権法表現の自由を規制できるのは、それが「著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与する」ことを目的としているからだ。

ダウンロード、つまり複製は、本来本質として自由である(基本)

表現の自由の例外としての著作権法によってダウンロードは不自由になった(例外)

私的な範囲での複製(ダウンロード)は自由だ(例外の例外)

私的なダウンロードでも違法なアップロードだと知っていたら自由ではない(例外の例外の例外)

例外は厳密でなければならない。本来自由な権利を害する規定だから。例外の例外は厳密である必要はない。本来自由な権利を取り戻す規定だから。例外の例外の例外は、「例外の例外」よりも「例外」よりも厳密に規定されなければならない。なぜなら一度規制されたものをあえて例外として外しているにも関わらず、さらにその例外として再度規制しようとするから。

ダウンロード違法化は厳密な検討がなされたのか。「著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与する」ための規制なのか。私は未だに甚だ疑問だ。ある権利者サイドの人はこう主張していたように記憶する。無断で、無料で、対価を払わずダウンロードするのは現実世界で言えば窃盗だ、泥棒だ、と。しかし違う。違法化前は、アップロードは窃盗で泥棒だがダウンロードは認められたものだ。大切な音楽を蔑ろにしている、という主張も聞かれた。倫理的にどうか、という問題提起だ。その問題提起は寝た子を起こす。人類の財産である文化を特定人に独占させるのは倫理的に許されて然るべきなのか、というドグマを。



3,たった2年

ダウンロード違法化が2010年施行だった。それからたった2年余り。当時、当分の間は刑罰化に踏み切ることはないと言って違法化を推し進めていた人たちが、その舌の根も乾かぬうちに刑罰化をかなり強引な方法で推し進めている。たった2年だ。2年目の違法ダウンロード数の詳細な集計も出ないタイミングで、実質1年の実績しか無いのにもかかわらず、刑罰化しなければ違法ダウンロードが抑止されないと言うのか。

繰り返す。2年余り前は違法ですらなかったのだ。2年余り前は損害すら発生していなかったのだ。

みんな、ダウンロードは悪いものであり続けたのにも関わらず未だにこんなにも野放しにされている、という口車に乗らされているが、ダウンロードが悪いものであり続けたのは2年余りでしかない。

ダウンロードは2年前に悪いものにされたのだ。
違法化は、ダウンロードが悪いものだったというお墨付きではない。
違法化の瞬間から悪いものになったというものだ。

悪いものだ!と言えば悪いものが減ると思っていたのだろうか。せっかくわざわざ作ってもらった「損害」はしっかり賠償して文化の発展に寄与するために取り返そうとしたのだろうか。ナントカマークはどうなった。

悪者退治はダレの仕事だ。


4,刑事罰の性質

それは被害者の仕事だ。

少し以前、「自衛隊暴力装置」という言葉が問題になった。無知を披瀝して大臣叩きに躍起になってた人も少なからずいたが、国家とは暴力装置で最も恐るべきパワーの持ち主であることは間違いない。28000人以上の人間の自由を奪えるのも国家だし、人を殺せるのも国家だ*2。国家は最強の矛と最強の盾を持った存在で、しかも時々暴れる。暴れて困るのは国民で、民主主義であるが故に国家の飼い主は国民だ。飼い犬に手を噛まれないためには、飼い犬に必要な最低限のチカラのみを持たせるに限る。不精な飼い主が犬に新聞を取ってこさせるために、ドアを開ける用の爆弾を持たせる必要はない。

刑罰とは国家による暴力だ、武器だ。反抗不能の強制捜査を可能にし、なにもしていないと主張しても身体拘束を受ける余地を生む。そのため、国家による介在は最後の手段でなければならない。まずは当事者による解決(ア)、それでも無理なら国家による解決手段の提示(イ)、その上でどうしてもどうにもならないときに初めて国家による実力行使(ウ)がなされる*3。これが理想であり、基本であり、原則であり、例外はない。

刑法の謙抑性は、行使段階のみならず、当然制定段階でも発揮されるべきものだ。

まずは(ア)当事者による解決が図られるべきだ。ダウンロードに関して言えば、ダウンロードは違法ではないが、権利者を逼迫し、文化活動に支障を来す恐れがあるためにやめてほしい、といういわゆる「啓蒙活動」がこれに当たると思う。そして、これは確かにある特定業界では盛んになされていた。そこで芳しい成果を上げられなかったために(イ)国家による解決手段の提示、すなわちここではダウンロードの違法化がなされたものと考えて差し支えないと思う。そして、いま、(ウ)国家による実力行使が許容されようとしている。

(イ)が必要だったか、疑問に思うのは上記の通りだが、それよりも甚だ疑問なのは(イ)の成果が上がるようなことがしっかりとなされたのか、ちゃんの当事者である権利者が動いたのか、それでもどうしてもダメな状況まで追い詰められていたのか。この2年余り、どれだけの損害賠償事件を起こして(イ)のフレームを有効活用してきたのか。記憶に残るほど多くの民事裁判事件はなかったのではなかろうか。

なぜ、民事でなく刑事に頼ろうとするのか。


5,我が腹は傷めぬ

答えはきっと難しくない。訴訟費用のほうが多額にかかるからだ。ネットの向こうの実在の人物を探すことからしてお金がかかる。しかも、コピー技術が容易になって一般人でもコピーができるようになったため、著作権侵害は不当な利益を得ようとする業者から、一般人に広がった*4。賠償額がわずかであれば訴訟費用が賠償額以上になってただただ損するだけだ。賠償額が多額でもそれに見合う財産がなければただただ損するだけだ。

その点、刑事事件は気楽である。捜査費用も証拠保全の費用も訴訟係属の費用も全て税金が賄ってくれる。自分で探さなくてもネットの向こうの実在の人物も探してくれる。日がな一日釣り糸を垂らして釣れるか釣れないか食べれるか食べられないか分からないサカナを待つよりも、魚屋に行ったほうが脂の乗った美味しそうなサカナを買える。

もちろん、買うか買わないかは分からない。しかし、権利者が被害届を出すだけで自分たちでは煩わしく手間もお金も時間もかかる仕事を、しかも効果絶大な形で国が請け負ってくれるようになることは事実である*5。本来、負うべき負担者がそれを回避しようとしている。それはダウンロードが悪いことなのだから仕方のない事なのだ、ではない。それとこれとは話が別だ。


警察も検察も裁判所も、ごみ収集の公共サービスじゃないんです。



日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか

日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか

*6

*1:例えば「呼吸税」が導入されて呼吸が完全に自由な行為でなくなったとしても、呼吸税導入前の呼吸が「呼吸という利得を得ていた」とはならないように

*2:少なくとも日本では

*3:アとイは解決を図るのはあくまでも本人だ。

*4:むしろ後者が前者を逼迫している可能性すらある

*5:現に一足先にダウンロード刑罰化を導入したドイツでは頻発し、逆規制が入っているそうだ。

*6:山田奨治 BLOG 音楽の違法ダウンロード罰則化:さて、ぼくたちにできることは