ジョン・ケージ「4分33秒」に原盤権は発生するか。
※屁理屈注意
ジョン・ケージの有名な作品で「4分33秒」というものがあります。このあまりにも有名な作品にも、他の音楽と同じように著作権法にいう、いわゆる「原盤権」が発生するのだろうか。
原盤権(げんばんけん)とは、一般に、音楽を録音、編集して完成した音源(いわゆる原盤、マスター音源)に対して発生する権利のこと。日本の著作権法では、「レコード製作者の権利」(第96条〜第97条の3)として規定されている。
原盤権 - Wikipedia - http://goo.gl/ZXtcI
レコード製作者の権利
(複製権)
第九十六条 レコード製作者は、そのレコードを複製する権利を専有する。
(送信可能化権)
第九十六条の二 レコード製作者は、そのレコードを送信可能化する権利を専有する。
原盤権のポイントは、録音されたものが「音楽」ないし「音楽の著作物」であることを必須の要件としていないことで、著作権法第2条第1項第5号によると、レコードとは「レコード 蓄音機用音盤、録音テープその他の物に音を固定したもの」のことを言うと定義されています。つまり、音楽でなくても音が固定されてさえいれば、鳥の鳴き声だろうが旦那のイビキだろうが<自粛>だろうが<--検閲削除-->だろうが、それは「レコード」ということになりそうです。
では、アメリカ出身の音楽家であるジョン・ミルトン・ケージ・ジュニアことジョン・ケージの作品「4分33秒」であってもそれを録音したものはレコードなのだから、レコード製作者は「原盤権」を持つのか?っていう。
まずは、自分で「4分33秒」を録音してみたので、ジョン・ケージの「4分33秒」がどんな作品かご存じない方は、下の動画を見てください。穴埋めのためなので、映像は関係ないです。
※このレコードの原盤権はレコード製作者であるsophizmに帰属します。本動画は原盤権を保持するレコード製作者sophizmが有する送信可能化の権利に基づきアップロードされたものです。なんつって。
ジョン・ケージが書いた楽譜は以下のようなものです。
第1楽章
休み
第2楽章
休み
第3楽章
休み
つまり、「4分33秒」とは4分33秒に渡る『無音の音楽』なのです。
原盤権の話に戻ります。レコードは音が固定された場合に生じるので、無音で構成される「4分33秒」は音が固定されたとは言えず、普通に考えれば原盤権は生じなさそうです。ところが、ウィキペディアによる「4分33秒」の説明によると、
この曲は、いわゆる「無」を聴くものというよりも、演奏会場内外のさまざまな雑音、すなわち、鳥の声、木々の揺れる音、会場のざわめきなどを聴くものとされている
とあり、「4分33秒」の録音物には必然的に鳥の声、木々の揺れる音、会場のざわめきなどが含まれることになるはず。つまり、無の音楽だけど、無音のレコードではない・・・・と。なので、ジョン・ケージの「4分33秒」に原盤権が生じても不思議ではない、と思うんです。
これだけで終わってしまうのも気持ちが悪いので、もう少しひねくれて考えてみようかと思います。仮に例えノイズであっても有音部分に原盤権が生じるとして、無音部分には原盤権が生じないのでしょうか。つまり有音部分と無音部分は分けて考えても良いのか、それとも有音部分を含む全体を一つの原盤権と考えるべきなのでしょうか。ごく僅かな一瞬の音と、膨大な無音部分で形成される録音に権利を与えてしまうのは感覚的に変だと思いますよね。例えば音楽のCD音源を使ったとして、それが最初から最後までではなく音源の一部を使った場合でも原盤権にひっかかる余地はあるはずです。もし、無音部分を含む全体を一つの原盤権とした場合、全くの無音部分をもって権利主張しうる余地を与えてしまう可能性があります(もちろん全く現実的ではありませんが)。では、有音部分に限って原盤権が生じ、それぞれの有音部分毎に原盤権があると考えるとどうか。この場合困るのは、ごくごく普通の音楽のほうではないでしょうか。いわゆる「ブレイク」は”演奏中、リズムやメロディが一時的に停止した空白部分のこと”で、例えば松任谷由実の「春よ、来い」で使われていたりするわりと一般的な技法だと思いますが、もし有音部分毎に原盤権を認めるとすると、ブレイクの前後で別の原盤権が発生するのか?という問題が生じてしまうんじゃないでしょうか。
もちろん、実際に裁判で無音部分を根拠に原盤権侵害を主張したとしても間違いなく負けるでしょう。ただ、想像を膨らませて楽しいのは、裁判所がどういった理由で主張を退けるか、ですよね。「原盤権が発生しない」なのか「原盤権は存在するが、主張できない」なのか「両音源の無音部分は同一ではない」なのか、それとももっと別の理由か・・・。